経歴のスタート地点
経営企画というポジションに就いて、もう10年以上が経った。新卒で大手小売企業に入り、店舗運営、商品本部を経て30歳のときに本社の経営企画部に異動した。中期経営計画の策定、M&Aの検討、全社コスト構造改革——会社の中枢で「戦略」を描く仕事を、これまでずっとやってきた。
経営層の意思決定に近い場所で働けることに大きなやりがいを感じていた一方で、いつも頭の片隅にあったのは「描いた戦略が現場で実装されない」というもどかしさだった。立派な戦略マップを作っても、現場の業務オペレーションが旧態依然のままでは、何も変わらない。デジタルが世の中を塗り替えていく中で、自分たちの会社だけが取り残されていくような焦りがあった。会議で「DX」という言葉は飛び交うのに、誰も具体的な打ち手を語れない——そんな空気が、ずっと違和感としてあった。
最初のつまずき
40歳になった春、社長から直接呼ばれて「次期中計でDXを経営の柱に据える。CDO候補としてあなたを考えている」と告げられた。光栄な話ではあったが、正直、自分にその役割が務まるのか不安だった。
私はテクノロジーの専門家ではない。エンジニアと同じ言語で議論できるわけでもない。「DX」という言葉は使ってきたが、それが具体的にどんな技術スタックで、どんな投資判断で、どんな組織設計で実現されるのか——解像度が圧倒的に低かった。最初に外部のDXコンサルに依頼書を書こうとしたとき、要件定義の段階で言葉が出てこなかった。クラウド、データ基盤、API連携、内製化、アジャイル——どれも知っているつもりで、実は本質を理解していなかった。
特に怖かったのは、社内のIT部門との会議だった。彼らが当たり前に使う「マイクロサービス」「データレイクハウス」「ゼロトラスト」といった言葉に頷くしかない。理解しているフリをすればするほど、自分の経営判断の精度が落ちていく感覚があった。
転機となった一冊
転機は、社外取締役から渡された一冊の本だった。『DX実行戦略』。読み始めて衝撃を受けたのは、DXが「デジタル化プロジェクト」ではなく「事業モデルそのものの再定義」であるという視点だった。私が経営企画として培ってきた戦略策定のフレームワークは、そのままDX推進の骨格になり得る——そう気づいたとき、自分の役割が腹落ちした。
CDOはエンジニアの上位互換ではない。経営とテクノロジーの間に立ち、投資判断と組織変革を統合的にデザインする役割なのだ。それなら、私が「テクノロジーの素人」であることはむしろ強みにすらなり得る。経営の言葉でDXを語れる人が、社内には少ないのだから。読了した夜、私は社長に「CDO候補、お受けします」とメールを送った。
いま振り返る選書
CDO就任に向けて1年間、計画的に本を読み込んだ。
- 『DX実行戦略』:DXを経営アジェンダとして再定義してくれた起点の本。中計策定の議論にそのままフレームを持ち込めた。「デジタルで何をやるか」ではなく「どんな事業構造に変えるか」から議論を始めるようになった。
- 『デジタルトランスフォーメーション ガイドブック』:他社事例の解像度が高く、自社の現在地を客観視するのに役立った。成功事例だけでなく、失敗パターンの記述が秀逸。
- 『コーポレート・トランスフォーメーション』:組織変革の本質を学ぶ。テクノロジーよりも、組織の慣性をどう動かすかの方が遥かに難しいと痛感した。
- 『DXの思考法』:経営層への説明資料を作るとき、抽象度の高い概念を分かりやすく言語化する助けになった。役員プレゼンの語彙が劇的に増えた。
- 『Measure What Matters(OKR)』:DX推進に必要なゴール設定の仕組みを社内に導入する際の教科書。中計のKPIをOKRに翻訳する作業で何度も参照した。
読みながら必ずやったのは、自社に置き換えた「もし自分ならどう判断するか」のメモを残すこと。本の内容を消化するだけでなく、自分の意思決定の引き出しに変える作業だ。読書ノートはいま100ページを超えている。
これから挑む人へ
経営の経験はあるがテクノロジーは未経験、という40代の方は私と同じ立場にいるかもしれない。伝えたいことは一つだけだ。コードが書けることがCDOの条件ではない。経営の言葉でテクノロジーを語れることこそが、CDO/CDXOに求められる本質的なスキルである。
技術書を読み漁る必要はない。ただし「何を、なぜ、いくらで、誰と、どの順序でやるか」を構造化する力は、戦略立案の延長線上にある。経営企画で培った力は、DXの世界で確実に効く。怖がらずに踏み込んでほしい。一年前の私と同じように悩んでいる方の背中を、少しでも押せれば嬉しい。
